君に
城壁の完成と共に多くの奴隷が開放された。
自由という名のていの良い解雇。
喜び勇んで故郷へ向かうものもいるが大半は食と住の保証を失い途方にくれている。
俺は城壁を作るためではなく奴隷であるために奴隷になっていたのだが事情を知らない誰かが誤って俺の縄まで解いてくれた。
あっけなく手に入った未来は、たった一つの後悔のために使おうと決めた。
***
放たれた矢が緩く弧を描き的に吸い込まれていく。
パンと気持ちよい音を立てて鏃が中心に深く刺さった。
会場が喝采に包まれる。あと一射、次で俺の優勝が決まる。
矢を番え、弦を引き、
「待て!」
矢はまるで見当違いの方向に飛んでいった。
「スコルピオス殿下!神聖な競技の場を如何なる所以で乱されるのか!」
あっという間に兵士が集まり、審判長が妨害者を鋭く責める。
当然だ。
「不正が行われた」
「バカな!剣術や槍術ならともかく弓で不正など!」
「唯人ならばそうであろう。だがアレは違う。なぁ?」
知っているぞと俺に向けられた視線はぞっとするほど冷たいものだった。
この場でなかったら竦んでしまったかもしれない。
だが俺にだって譲れないものがある。
「俺はやっていない!」
「この期に及んでしらを切るか。私はこの目でしかと見たぞ!お前が審判に拳よりも大きな宝石を渡したところをな!」
「なにを!」
「違うというなら、審判、今すぐ懐の中の物を取り出して貰おうか」
「もちろんです!私は誓って不正に協力など…―!」
「どうした?」
「貴方という方は…!」
「早くその手を外に出せ。それとも私が自ら暴いてやろうか?」
「それには及びませぬ。」
白日の下に晒された彼の右手に握られていたのは指の隙間から光が漏れこぼれるような見事な紅玉。
「決まったな」
宝石のように真っ赤な髪をした男が愉快だと笑った。
***
欲しかったのは力と名前を聞いただけで敵が怯むような武勇伝。
武術大会は力試しと名声、そして金を稼ぐのに丁度良かった。
だからといって調子に乗りすぎたのかもしれない。
「グズグズするな!」
まあつまり俺が優秀すぎたのだろう。
噂を聞いた父が怯え何らかの見返りと引き換えに俺の始末頼んだ、とそんな所に違い無い。
そういう意味では俺がバカだったのだろう。
顔も知らないあの人の事なんて俺には全く興味が無いと言うのに。
残念でならないが死なない飼い殺しの日々が再開だ。
そんな事を考えながら引かれるままにぼんやりと歩いていたせいで気付くのが遅れた。
「うわぁあぁっ!?」
断末魔の悲鳴はすぐ目の前の男から。
かろうじて見えたのは紫の煌めき。
ああ綺麗だ。
その疾風は次々と商人を切り伏せ、奴隷の縄を解いていく。
こんな綺麗なもの俺は一つしか知らない。
はやくはやく。
はやく俺のところに来い。
お前をずっと探していたんだ。
ブツと縄が切られる。
振り返ると同時に剣を突きつけられた。
「諦めるな、抗うのさ。無力な奴隷は嫌だろ?剣を取る勇気があるなら私と共に来るがいい!」
いや、俺、弓。
こいつまさか。
信じたく無いけどまさか。
仮にも俺は命の恩人なんだけど。
言葉がでてこなくて目の前のきれいな顔をただただ眺める。
紫の目が少しだけ大きく開いた。
幸いにも俺の記憶に思い至ったようで、その証拠として高らかに宣言したくせに返事も聞かず逃げ出しやがった。
「お待ちください!」
慌てて叫んだせいで癖になっている敬語になってしまったのが悔しい。
あんなバカに敬語。
俺の声が聞こえたのだろう。
あろう事かあいつは迷わず歩く速さを上げた。
「おい、待てって!」
返事は無い。
「てめぇ待てって言ってるだろうが!恥ずかしい過去バラずぞコラ!」
「うるさい!聞こえてる!」
ようやく振り返ったあいつは耳まで真っ赤になっていた。
「何が『私と共に来るといい』だ!かっこつけやがって!」
「黙れ!なんでお前がこんなところにいるんだ!」
「俺がどこにいようと俺の勝手だろう!」
「…それは、そうかも知れないが」
うん、俺の勝ちだ。
俺は好きなところにいて良いんだよ。
だから、
「しょうがないからついてってやるよ。」