出逢い

眠りから浮上する感覚。ふわりと気持ちいい。最初に意識をくすぐったのは潮の匂い。続いて波の音。
――ということは自分は海にいるのだろうか?
瞼越しにうっすら感じる太陽の眩しさを警戒しながらゆっくりと目を開けると、予想通り砂浜に直接横になっているようだった。
なんだこの全く心当たりが無い状況。
とりあえず周りを確認するために起き上がろうとするが、残念ながらそれは叶わなかった。
全身がズキズキと痛い。力が全く入らない。濡れた服が鉛のように重い。
どうしてこんなことになってるんだっけ?
ぼんやりとする頭を無理やり働かせる。
記憶と辿るとまず浮かんできたのは狂ったように吹き付ける風と痛いくらいの激しい雨。一歩先も見えない大嵐。
波に煽られて船がぐらりと傾き――そうだ、甲板から海に落ちたんだ。
あの時は「あ、死ぬな」と思ったけどよく生きてたもんだ。
自分の強運に感心する。それと同時にひとつの場面が蘇った。
宙に投げ出されたオレの手を掴もうと必死に腕を伸ばしている男の子と女の子。そっくりな双子が揃って浮かべていた絶望の表情。

「っエレフ…! ミーシャ…!」

思わず飛び起きようとして、でもボロボロの身体はさっきと変わらずオレの意志には従ってくれなかった。
それでもなんとか首だけを動かして周りを確認してみると、打ち上げられているのは壊れた船の残骸ばかり。

「……そう、か」

少なくともすぐ隣で死んでいるということはないらしい。少しだけ安堵する。
ゆっくりと顔を正面に戻すと、目に映るのはうんざりするような青い空。
雲一つ無く、綺麗に晴れ渡っている。ひどく現実感の薄い景色。
嵐があったなんて嘘みたいな穏やかさだ。
ある意味、どうあがいても身体が動かない状態で良かったのかもしれない。
だって身体が動いたところで何をどうすればいいのか。
初めてできた友達のために、初めてイーリオンを出ようと思ったんだ。
その結果がこれだなんてあんまりだ。
これが『忌み子』の運命だというのか。
……いや、こんな考え自体が『忌み子』の幻想に憑りつかれている。
オレは絶望なんかしていない。動かないのは身体が動けないからだ。
都合の良い言い訳ができることをありがたく思いながら、見るともなしに空を眺め続けていると、不意に視界に鮮やかな赤が飛び込んできた。

「おい、生きているか?」
「…だれ?」
「その服はイーリオンの奴隷だな。脱走しようとして密航した船が難破でもしたというところか」

蔑むでもなく嘲るでもなく、ただ見たままを告げるように降ってくる淡々とした声。

「……あたり」

見る人が見ればすぐにわかることだ。嘘をついても仕方ない。
残念だなぁ。イーリオンに連れ戻されたら今まで以上に厳しい監視がつくだろう。
友達もたぶんもう作れない。それどころか外に出ることすら許されなくなるかもしれない。
待っているのは飼い殺しだろう。そう考えると生き残ったのがただの幸運とは思えなくなってくる。
思わず漏れたため息に、品定めするようにオレを見下ろしていた男がまた口を開いた。

「生きたいか?」
「死にたくはない」
「自由になりたいか?」
「できることなら」
「私に仕えるなら、拾ってやる」
「仕える…? あんた、いったい」

――誰なんだ。
最初に無視された問いをもう一度投げる。

「スコルピオス。アルカディアの妾腹の王子の噂くらい聞いたことはあるだろう」
「……あんたが」

『妾腹』と言葉にしたときだけ、男は自嘲気味に顔を歪めた。
確かに聞いたことがある。
常勝不敗。アルカディアの闘神。
驚いた、こんなに若かったのか。

「断れば貴様をイーリオンに連れていく。念のため教えてやるが、脱走を図った奴隷は死罪だ」

死にたくないのだろう?という脅迫を重ねながら、男は極悪人のような笑みを浮かべた。
でも恐ろしく感じないのは一瞬だけ見てしまったあの表情のせいだろうか。
自分を守るために必死で強がっている傷付いた子ども。
そんな風に見えてしまった。
それは例えばつい昨日まで一緒にいた奴隷仲間のあの少年のように。
ああ、だめだ。
こういうの、ほっとけない。
ほんと我ながら損な性分。ごめん、エレフ、ミーシャ。合流はちょっと先になりそうだ。

「……わかった。あんたといくよ。つれてってくれ、スコルピオス」
「『殿下』をつけろ。おまえ、名は?」
「オリオン」
「――ほう、オリオンか。なるほど」

オレの名前を聞いたスコルピオスは何かに気付いたように頷き、小さく口角を上げる。
やばい、失敗だったかもしれない。
深く考えないまま名乗っちゃったけど、この人の身分ならイーリオンの忌み子の話くらい知っててもおかしくなかった。

「思いがけず良い拾い物をした。まずは湯浴みと手当だな」

殿下は外套を脱ぎ、それでオレを包んだ。抱き上げられるとそのまま馬に乗せられ、城まで連れていかれる。
途中の城門や市街ですれ違った兵士たちが目を丸くして驚いていたのが妙に面白かった。
城に入った途端に女官が駆け寄ってきて、スコルピオスが何か指示をだす。
彼女たちが頷くと、殿下はオレを降ろしてどこかへ行ってしまった。
これがオレと、オレの王様との出会いだった。